コラム
皆さん、こんにちは。Buddieateスタッフの石堂です。
今週は「なぜプレイステーションは成功したのか?」についてお話ししようと思います。
プレイステーション(以下プレステ)は1994年12月3日にSONYから発売されたゲーム機です。
世界で1億台以上販売し、ファミコン以降任天堂が独占していたゲーム市場でトップシェアとなりました。
プレステのすごいところはSONYが初めて発売してゲーム機であり、
同時期にはSEGAのセガサターンや任天堂のNINTENDO64といった実績を積み、
すでにゲーム市場で一定の地位を築いている競合がいるにもかかわらずトップシェアとなったことです。
ではなぜプレステは成功したのか?任天堂のゲーム機と比較しながら解説していきます。
第一にソフトにCD-ROMを採用したことです。
ファミコンからNINTENDO64まで任天堂が使用していたROMカセットと比較するとCD-ROMは製造期間が短く、
ソフト一本作るのにかかる費用も抑えることができます。
さらにSONYは音楽CDの流通業界で培ったノウハウを使い、
自社のCD工場でソフトを生産し、さらにそれまでのゲーム市場とは異なり問屋を介さず販売店舗に直送するといった流通体制を築きました。
その結果、製造期間の短さと問屋を介さない流通体制によって販売店舗が品切れを避けるために多くの在庫を抱えるリスクも、
逆に人気のあまりソフトが店頭に並ばないといった事態も防ぎつつ、
常に店頭にソフトが並んでいるという状況を作ることに成功しました。
また、低価格で製造できることや問屋が売れないソフトを抱えるリスクをソフトの価格に転嫁するといったことがなくなり、
同時期にスーパーファミコンのソフトが1万円近くしたのに対し、
プレステでは5800円前後で販売することができました。
これらのことが、ソフトの消費サイクルが格段にスピードアップしました。
第二に数多くのソフトを販売することができたことです。
プレステで発売されたゲームタイトルは最終的に3289タイトルとなり、
セガサターンの1058タイトル、NINTENDO64の208タイトルを圧倒しています。
ゲーム機が売れ行きはは質の高いゲームがそろっているかどうかによって大きく左右されます。
しかしそれと同時にソフトメーカーもヒットしそうな作品を開発するときには
その時に最も普及しているハードに向けて開発します。
当時任天堂は作品のクオリティ重視で基準を厳しく設けていたのに対し、
SONYは参入のハードルを大きく下げました。
ソフト開発のために初期投資しなければならない機材を任天堂のおよそ十分の一の価格で提供し、
開発の支援を手掛けるなどゲーム開発をバックアップしました。
これにより、規模の小さいメーカー、新興メーカーから意欲作がたくさん発売され、
バラエティ豊かなソフトのラインナップを早々実現しました。
さらに、これまで任天堂ハードで発売されていた日本を代表するRPGであるファイナルファンタジーシリーズとドラゴンクエストシリーズの最新作がどちらもプレステで発売されました。
特にファイナルファンタジーの最新作であった「ファイナルファンタジーⅦ」は3日で200万本以上売り上げ、
プレステ本体の売り上げにも大きく貢献しました。