コラム
皆さんこんにちは。Buddieateスタッフの石堂です。今週は「なぜ東京ディズニーランドは浦安に建設されたのか?」についてお話しします。
そもそも浦安市とはどのようなところかご存じですか?浦安市は東京ディズニーランドができるより以前は海苔や貝類の養殖を中心とする、漁業が非常に盛んな漁師の町でした。これらの生産高は現在の価値に換算すると150億円ほどとなるそうで、いかに漁業が盛んであったかよくわかります。
しかし、1958年江戸川沿いの製紙工場から流れ出た汚染水により水質が悪化、浦安の養殖場の貝類の8割以上が死滅し、それにより浦安の三分の一の世帯が住民税を払うことが出来なくなるほど困窮していたという過去があります。そんな中、住民は浦安の象徴でもある浅瀬を埋め立て、つまり漁業権を放棄し新たな産業を始めることを決意します。
そしてオリエンタルランドに新たな雇用を生むことや、大レジャーランドを建設することなどの条件を課す代わりに1坪700円という驚異的な値段で土地を譲り渡したのです。
オリエンタルランドよりも先にディズニーランドを誘致している企業がありました。その企業とは三菱地所です。三菱地所はディズニーランド建設候補地としてディズニー社に富士山麓を提案し、オリエンタルランドは浦安を提案したのです。日本テレビの「ディズニーランド」という番組のスポンサーが三菱電機であったことや、三菱銀行が預金通帳にディズニーキャラクターを起用していたこともあり、当時の三菱グループはディズニー社とのつながりを以前から持っていました。
一方、当時のオリエンタルランドは社員が3人しかいない非常に小さな会社でありディズニー社との接点も全くないため、圧倒的不利な状況でした。ではなぜそのような状況で浦安への誘致を成功させることができたのでしょうか?
第一の理由は富士山の存在です。富士山麓にパークを建設するとどうしても背後にある富士山が目に入ってしまいます。それでは人工物も引き立たず、非日常感を生み出すことができません。一方浦安は、埋め立て地であるため周囲にパーク内から外のものが見えるということはありません。
第二の理由は地元住民の歓迎です。1974年12月ディズニー社の経営陣が三菱・オリエンタルランドのディズニーランド誘致プレゼンテーションのため来日し浦安を訪れた際、浦安市長が歓迎のあいさつをし、浦安の子供たちがアメリカの国旗をもって歓迎したそうです。当時のディズニー社はカリフォルニアに建設予定であったスキー・リゾートが地元住民の猛反対の末、計画破綻した経験があり、地元住民に歓迎されているということは大きな魅力だったのです。
これら以外にも首都圏からのアクセスの良さというメリットも考慮され、プレゼンテーション後にもう一度経営陣で建設地を決める会議を開くことなく、浦安へのディズニーランド建設が決定しました。
余談ですがプレゼンテーションの際、浦安への移動時間を短く感じさせるために昼食の時間にしたそうです。とても豪華なバスの中で帝国ホテルのシェフたちによる料理をふるまいました。そして「魔法の冷蔵庫」と呼ばれる小さな冷蔵庫を用意し、経営陣に飲み物の注文を伺ったのです。経営陣がバスに乗る前に注文を伺ったわけでもないのに、経営陣が注文した飲み物は必ずその小さな冷蔵庫から取り出されたそうです。これにはタネがあり、事前に経営陣が普段の昼食やパーティの際にどのような飲み物を飲んでいるのか詳細に調べていたそうです。
だからこそ、誰が何を注文するか正確に予測することができたのです。まさに「おもてなし」の精神ですね!