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2025/07/15(TUE)

スタッフブログ

【今日はファミコンの日!】ファミコン大ヒットの背景

皆さん、こんにちは。Buddieateスタッフの石堂です。今回は7/15の「ファミコンの日」にちなみ、「ファミコン大ヒットの背景」についてお話しします。

7/15は「ファミコンの日」と呼ばれています。日本記念日協会に登録されているものではありませんが、1983年7月15日に任天堂が家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」を発売したことに由来しており、メディアやゲーム雑誌などでは「日本のゲームが家庭にやってきた最初の日」と言われています。

1983年に任天堂が発売した8ビット家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」は、赤と白の特徴的な本体デザインで、発売当時の価格は14,800円でした。テレビに接続して遊ぶカセット交換式のゲーム機であり、家庭にいながらアーケードゲームに匹敵する体験ができることがセールスポイントでした。発売後徐々に人気が広がり、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)や『ドラゴンクエスト』(1986年)などの大ヒットソフトと共に一大ブームを巻き起こし、最終的に世界累計6,291万台を出荷されました。

ファミコンが発売された当時、既に複数の家庭用ゲーム機(セガの「SG-1000」やカシオの「PV-1000」、トミーの「ぴゅう太」、日本物産の「マイビジョン」など)が市場にあり、ファミコンは後発の参入でした。そのような状況下でファミコンが空前の大ヒットを記録したのは、ひとえに他社製品に対する優れた製品戦略の賜物です。

ファミコンは競合機とほぼ同じ価格帯(15,000円前後)でありながらゲーム専用機として高い性能を実現していました。例えば、同日発売のSG-1000や数ヶ月後発売のPV-1000も14,800~15,000円程度でしたが、ファミコンほどのグラフィック表現力や音源性能は備えていませんでした。ファミコンは高性能8ビットCPUと専用グラフィックチップによりアーケードゲーム並みの映像・音楽を家庭で再現でき、「同価格帯なのに圧倒的に遊べる」という商品力で他社をリードしました。

さらに1984年以降、ナムコやハドソンといった有力ゲームメーカーが次々参入し、ソフトの種類と数が爆発的に増加します。サードパーティー製タイトルの豊富さによってユーザーの選択肢が広がり、「遊びたいゲームがファミコンに揃っている」状態を作り出しました。一方で競合機は自社開発や一部の移植作に頼らざるを得ず、タイトル数が限定的でした。例えばSG-1000は累計でも約70本弱のソフトしか出ず、PV-1000に至っては予定15本中13本の発売に留まり早々に撤退しています。ソフト資源の差が時間とともに市場シェアの差となり、ファミコンの優位性を決定づけました。

ファミコンの爆発的ヒットには時代背景も後押しがありました。1985年の風適法改正で18歳未満の夜間のゲームセンター立ち入りが規制されると、子どもたちは家で遊べる家庭用ゲームに一層熱中するようになります。またファミコンは玩具店だけでなく家電量販店でも販売され、値下げ戦略もあって一般家庭に普及が進みました。1980年代末には小中学生のいる家庭のほとんどにファミコンが行き渡り、友達の家に集まって対戦したり、学校で攻略情報を話し合ったりと、子ども文化の中心に「ファミコン」が存在していました。

ファミコンは発売から数十年経た今でも、そのブランド知名度は色あせていません。「ファミコン」という名前自体がテレビゲーム機全般の代名詞となり、今でも初代『マリオ』や『ゼルダ』といった名作が遊ばれ続けています。2016年には復刻版「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」も発売され、大きな反響を呼びました。他の昭和のゲーム機とは一線を画し、ファミコンだけは別格の存在感を放っています。世代を超えて愛されるファミコンは、時代を超えたエンターテインメントの象徴と言えるのかもしれません。

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